BORN TO BE FASHION - 装いだけではなく生き方そのものがファッションとなる -

「人は中身」という無責任さ

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休日、久しぶりに娘(8さい)とデート。

 

 

雑貨巡りをして、アイスクリームを舐め、背中をくっつけてベンチに座ったり、本屋で好きな本を探してみたり…。

 

夏休みということもあり、街には多くの中学生や高校生が(おそらく勝負服であろう)思いっきり背伸びしたファッションで歩いていた。

 

微笑ましく、そして眩しい。

 

僕もそのくらいの年頃からファッションが好きで、お気に入り服を着ると、いつもの自分じゃない自分になれる気がしてた。

 

ギターが上手くなった気がしたり、気になる子に声をかける勇気がでたり、ちょっと大人っぽい店に行ったり…。

 

そんな感覚を彼らも味わっているのだろうか?

 

 

ファッション(外見)を変えれば、行動が変わり、マインドが変わり、新しい人付き合いもできたりする。

 

「人は見た目じゃない」なんて昔からよく言われるが、例えばルックスがよい人と、ボロボロでダサい服の人が、「これは〇〇だよ」と同じことを言っても、その信用度は格段に違う(これが本当のハロー効果)。

 

自分を変えたいと思うなら、自己啓発100冊より、人気講師のセミナーより、パワースポットや神社巡りより(笑)、まずファッションを変えることが何よりも即効性がある。

 

「人の中身を見ろ」という常套句は、時によって言外に虚勢を張った知性あるいは傲慢さをしばしば感じる。

 

 

帰り際、娘が嬉しそうに言う。

 

「パパみたいなカッコした人いないね」

 

まあ、確かにそうなんだけど、

逆に、薔薇柄のシャツにスカートのような袴パンツを履いたおっさんが、そう何人もいてもらっても困る(笑)

 

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