木寺氏の写真展『黄泉』に行きました
こんにちわ。
吉田です。
昨夜はリスペクトしているカメラマンの木寺一路氏の写真展に行ってきました。
もう 長いお付き合いさせていただき、何度も写真展に行ってますが、
今回はいつもと違う新境地を感じさせるものした。
木寺さんと言えば、僕の印象ではモデルさんから街のおばあちゃんまで人物像を得意とし、華やかで美しく切り取られた女性たちに思わずハッとさせられる瞬間を切り取る抜群の感性を持っています。
しかし、今回はそんな華やかさ美しさを封印し「あの世とこの世それとも黄泉か」という、ちょっと扱いにくいテーマに挑んでいました。
木々や水流など抽象的なイメージの写真(三途の河をイメージしているのかな?)から始まり、モデルさんたちをまるで遺体のように扱い撮られた写真の数々。
僕はこういうの好きですけど、もしかしたら気分を害する人もいたかもしれません。
美しいばかりが作品ではない。
時には苦く、寂しく、悲しい、痛み、そんな感情に揺さぶられる。
これもまた心を動かされている証しですから。
そして、21時過ぎから静かにパフォーマンスが始まりました。
ライブ・フォト・セッション
木寺一路 VS 石井則仁(山海塾)
会場のカフェ・ブリックホールは廃工場跡地。
ここのライトアップされた中庭に幽玄のように佇み、
ゆっくりと静かに舞い始める。
しだいに動きは激しさを増し、裸足でカメラは一台のみで木寺氏もショットスピードが早くなる。
縦横無尽に舞いながら廃工場内部まで移動し、観客もそれを追う。
木寺氏によって次々と切り取られたパフォーマンスは、次の瞬間には奥のスクリーンに映し出される。
まるでパラレルワールド。
朽ちた壁、錆びた鉄骨、湿度の高い重い空気、
蠢き苦悶あるいは恍惚の表情を浮かべる石井氏。
「死」
いずれ誰にでも訪れる。
ほら、お前のすぐそばにもある。
そう、語りかけてくるようでした。
誰にでもある、なるべくなら避けて通りたい感情。
それをグッと捕まれ、ほら見ろと差し出されたような感覚。
同時に何かが研ぎ澄まされたような、わずかな清涼感が心をかすめて行きました。
木寺さんがいつも言っている
「写真にできることはまだまだある」
この言葉の深い部分に触れることができた夜でした。